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《一緒に“好き”に会いにいこう|5人目|新田貞子さん》  “好き”な人たちに出会い、囲まれ、おしゃべりを、これからも

 “好き”に会いにいこう——。石巻マンガロードの合言葉にちなんで、石巻に暮らす方々に、石巻に住んでいるからこそ見つけた “好き”なものを教えてもらうこの企画。その5人目として、隣町から石巻へ嫁いでから半世紀以上にわたって石巻のまちなかを見続けてきた、「新田屋ビル」のオーナー・新田貞子さんの “好き”に会いにいく。

 目 次
 ・好きな場所:青春の時を過ごした「海門寺公園」
 ・好きなもの:思い出が香り出す「佐藤氷屋の焼きそば」
 ・好きな場所:微笑みと縁がつながっていく「IRORI石巻」
 ・自然に、飾らずに、自分らしく“好き”なように

好きな場所:青春の時を過ごした「海門寺公園」

 「石巻の人たちなら誰でも日和山は知っているだろうけれど、今の若い人たちは海門寺公園って知っているのかしら?」。山頂から太平洋を一望でき、桜の名所でもある日和山は、昔も今も市民の憩いの場だが、まちなかからその日和山へと向かう中腹にあるのが、新田さんが思い出の場所に挙げる海門寺公園。その場所は、まちなかからほんの数分の距離であるにもかかわらず、落ち着いた空気が漂い、一面の木々に囲まれる心地良さを感じられる。

日和山への坂道の中腹にひっそりと海門寺公園への入り口がある

 隣町の矢本町(現・東松島市)で生まれ育った新田さんが石巻へ通うようになったのは、花嫁修業のために洋裁学校に入学した20歳の頃。「昔はね、石巻は都会で、石巻に行くことを『まちに行く』って言っていたの。私もバスに乗ってここに来るのが楽しみだったのよ」。そのバス停から学校までの通学路の中でも特にお気に入りだったのが、この海門寺公園だったのだという。

一面の緑の中で鳥居や石碑などが厳粛な雰囲気を醸し出している

 現在は大木が立ち並び、厳粛な空気に包まれる海門寺公園だが、新田さんは「そこで何をしていたかって? そんなの時代が違っても、年頃の女の子はおしゃべりでしょう。内容だって大体一緒。 おしゃれのこととか、あそこのボーイがかっこいいとか、そういう話よ」と、現在の公園の雰囲気とは正反対とも思える当時のキラキラとした日々を語る。

公園内にたたずむ剣道場

 「洋裁学校を抜け出して、友達みんなで過ごしたりもしていたわね」。そういたずらっぽい笑顔を見せつつ、通学路のいくつものスポットの中でも、特に海門寺公園に惹きつけられた理由を新田さんは「音ね」と話す。「海門寺公園の静けさが好きだったの。その静けさの中に、公園内にある剣道場から稽古の音が響いていたのよ。静かな中で耳に届く、防具が竹刀をはじく音、それが素敵でね」。その剣道場は今も残っており、稽古が行われている時には時代を経ても変わらないその響きを聞くことができる。

 一方で、今はもう聞くことのできない、新田さんにとって特別だった「音」もある。それが夕暮れ時のトランペットの音。「洋裁学校からの帰り道、毎日決まった時間に夕暮れの中でトランペットを吹いている男の人がいたの。何の曲だったかしら、確か『夕焼けのトランペット』だったかしらね。でもね、全然上手じゃないのよ。ただ、それでも良かったの。本当に毎日吹いていて、今でも耳に残っているわ」。イタリア出身のトランペット奏者であるニニ・ロッソ氏が生み出し、日本でもザ・ピーナッツがリメイクして大ブレイクした『夕焼けのトランペット』。女学生時代の帰り道と共にあったそのメロディとリズムを思い出すように、新田さんはゆっくりと体を揺らしていた。

好きなもの:思い出が香り出す「佐藤氷屋の焼きそば」

 新田さんがオーナーを務める「新田屋ビル」は、まちなかの立町通りとアイトピア通りの交差点にあり、現在はカフェやシェアオフィスとして市民に親しまれる「IRORI石巻」(以下・IRORI)が入居しているが、かつては「新田屋」の看板を掲げる酒屋だった。洋裁学校を卒業して、その「新田屋」に嫁入りした新田さんを待っていたのは、旦那さんやお姑さんと汗を流しながら酒屋を切り盛りする多忙な毎日。そんな慌ただしい日々を支えてくれたのが、新田屋のすぐ近くにあった佐藤氷屋が作る焼きそばだったという。「うちは商売していて忙しい時間もあったから、裏口から出前を持ってきてもらっていたのよ。それをお姑さんと、二人で一皿を食べてね。一皿100円くらいだったかしらね」。

新田屋の裏手にあった佐藤氷屋の跡地を指差す新田さん

 佐藤氷屋はまさに新田屋の目と鼻の先、アイトピア通りから石ノ森萬画館へと続く路地にあった。「氷屋」の名の通り、本業は氷の仲卸しだったのだが、製氷会社から仕入れた大きな氷を切り出して市内の飲食店やスナックへ配達して回る傍ら、食堂としてもかき氷や焼きそばを提供し、多くの市民から人気を博していた。

 「佐藤氷屋さんの焼きそばはね、ブランドだったのよ」。学生時代から佐藤氷屋の焼きそばのファンだった新田さんはそう話し、当時の日常を思い起こす。「目の前にバス停があってね。まちなかで買い物をして、帰りのバスを待つ間に『佐藤さんの焼きそば、食べるか』って感じでね。お肉は入っていなくて、刻んだキャベツと、そこに紅ショウガと青のりがちょこんと乗っただけの焼きそばだったのだけれど、湯気と一緒に出汁がほわあと香ってね。それはそれは美味しかったのよ」。

新田さんの記憶をもとに再現したイラスト

 今でこそ「石巻の焼きそば」と言えば、ご当地グルメの「石巻焼きそば」として知られているが、当時はまだそうした名前もなかった時代。それでも、二度蒸しの麺であることや、目玉焼きのトッピングが定番であったことは今と変わらず、「ソースをかけなくても茶色い麺で、炒める時に使う出汁の味と香りが大好きだったの。そこは最近の石巻焼きそばでも変わらないのだけれど、やっぱり私の中で佐藤氷屋さんの焼きそばは特別」と、その味を一つずつ思い出していく。
 それから半世紀ほどが経つ中では、佐藤氷屋をはじめとした、昭和の風情を感じられる食堂や料理は徐々に減りつつある。しかし、佐藤氷屋の焼きそばが、今の石巻焼きそばへと確かにつながっているように、その味と香りは新田さんの中に、忙しく充実した日々の記憶とともに、鮮明に息づいている。

好きな場所:微笑みと縁がつながっていく「IRORI石巻」

 「このIRORIでの思い出は現在進行形。もう毎日が楽しくって楽しくって」。新田屋ビルは、酒屋だった「新田屋」の閉店後、コンビニエンスストア、ガレージへと姿を変えていったが、東日本震災後の2011年12月、まちづくり団体「ISHINOMAKI 2.0」による改修でIRORIに生まれ変わり、その後リニューアルを経て、現在はカフェやホールを構える「街のロビー」として地域内外の人々が集い、つながる場所になっている。

「街のロビー」として地域内外の人々が集うIRORI石巻

 気軽にコーヒーを飲んだり、集中して仕事や勉強をしたり、まちの人たちが雑談を交わしたりと、誰もが思い思いの時間を過ごしているIRORI。その姿をずっと見守り、ほぼ毎日のように通い続けている新田さんは、「家で朝ごはんを食べて 10 時半頃になったらここに来てコーヒーを飲みながら新聞を読むのよ。そうするとそのうちに誰かしらお友達が来て、午前中はずっとおしゃべり。もうそれが最高の時間です。あとはもう、帰ってお昼食べたらお昼寝よ、年寄りだもの」と、いつもの過ごし方を教えてくれた。

一つひとつ丁寧に淹れる新田さんもお気に入りのコーヒー

 そんな会話の間にも、「新田さん、お元気?」「あっ、新田ママ」とお客さんがひっきりなしに訪れては挨拶を交わす。「皆さんとお話ししているとね、ずっと笑っていられるのよ。おかげで全然ボケないでいられるわ」。そう冗談混じりに言いながら笑い声を響かせる新田さんの笑顔からは、IRORIで交わる人たちとの会話を、心から楽しんでいることが伝わってくる。「若い人たちもそうですし、IRORIで働くみんなとのおしゃべりも大好き。今の人たちの生き方なんかを、いつも勉強させてもらってますよ。今時の恋愛はこうなんだ、とかね。なんだか若返ったような気持ちになるわ」。

友人やカフェスタッフと、懐かしいレコードの話に花を咲かせる新田さん

 震災を経て、業態やテナントが変わってきた新田屋ビルだが、それでも変わらずに続いているものもある。それが「人との触れ合い」であり、新田さんは「昔からの知り合いにも会えるし、新しい人との出会いもあって、みんなが『新田さん』って声をかけてくれる。こんなに嬉しくてありがたいことはないわよね」とあたりを見渡すように優しく微笑んでいた。

自然に、飾らずに、自分らしく“好き”なように

 「自然のままで、飾らなくていいのよ。このまちではみんなが自分らしく好きなようにいられるの」。学生時代、バスに揺られて通った憧れの石巻という場所は、今や新田さんにとって、日常の暮らしの場所であり、人生そのものになっている。そして、その半世紀以上の日々の中で、新田さんは一つひとつの“好き”を丁寧に紡いできた。

 いつもの夕焼け、お馴染みのご飯、心ときめく出会い、それから恋愛のこと。そんな何気なくとも、確かにかけがえのない日々の話を、新田さんはいつだって楽しそうに語り、その笑い声と笑顔が周囲をパッと明るく照らしていく。「私はね、これからも色んな人とたくさんおしゃべりをして生きていくの。だから、私にとってこのまちはこのままで十分素敵」。そう呟く新田さんの表情は、公園でかっこいいボーイの話に花を咲かせていたあの頃のように、IRORIに集う若者にも誰にも負けないくらい天真爛漫でお茶目だった。

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IRORI石巻


WRITTEN by 口笛書店
2019年6月、宮城県石巻市に生まれた出版社。石巻に在る出版社だから作れる本、口笛書店だから出せる本というものはなんなのか。時間をかけて模索していきながら出版活動を行っていきます。地元での出版活動のほか、関東を中心に書籍の執筆編集、ウェブコンテンツの企画編集、広告、コピーライトなど、言葉を取り巻くクリエイティブコンテンツの制作も手掛けています。
公式HP|口笛書店

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