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石巻×文化 特別インタビュー 第3弾 石巻×音楽<トリコローレ音楽祭/石巻 BLUE RESISTANCE>

 “文化の街・石巻”の今を発信する「石巻×文化」特別インタビュー。最終回となる第3弾では、石巻とは切っても切り離せない「音楽」にスポットを当てました。ただ「音楽」と一口に言っても、ロックやジャズ、レゲエ、ロカビリー、クラシック、吹奏楽など、そのジャンルは多岐にわたります。そして、石巻のすごいところこそ、その幅広い音楽のそれぞれに打ち込む人々がいることではないでしょうか。
 今回はそうした石巻の音楽文化を育て、支えてきた方々として、2004年から石巻中心市街地を会場に続く「トリコローレ音楽祭」実行委員会の前実行委員長の鈴木正敏さんと事務局長の大森盛太郎さん、そして石巻市立町に震災後に生まれたライブハウス「石巻 BLUE RESISTANCE」のオーナーである黒澤英明さんにお話を伺いました。

「音楽を鳴らそう、地域にそう伝え続けてきて」 

ー トリコローレ音楽祭実行委員会 前実行委員長 鈴木正敏さん・事務局長 大森盛太郎さん

Profile|
左:鈴木正敏さん(すずき・まさとし)
1953年、石巻市生まれ。トリコローレ音楽祭には初回から携わり、東日本大震災が発生した2011年から5年間、実行委員長を務めた。現在も顧問として運営に関わり続けている。

右:大森盛太郎さん(おおもり・せいたろう)
1976年、石巻市生まれ。石ノ森萬画館を運営する(株)街づくりまんぼう統括部長。石巻中心市街地の賑わい創出へ、トリコローレ音楽祭では事務局長として縁の下の力持ちとなっている。

ー今では石巻の夏の風物詩として定着した「トリコローレ音楽祭」。改めてイベントが始まった経緯を教えてください。
鈴木:トリコローレの初代実行委員長になる田岡吉人君が、仙台で開催された「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」に出演したのが一番最初の始まりだったんです。その後に、その田岡君が「石巻にもたくさんの音楽人がいる。石巻でもああした催しができないか」と。これが2003年のことでした。そんな一言をきっかけに、石巻の音楽関係者に声を掛けて翌年の実現に向けていったんです。

ー「やろう」と口で言うのは簡単でも、実際には多くの困難があったのでは。
鈴木:実際に募集をかけてみると参加数は30組ほど。決して多いとは言えませんでしたが、それでもイベント当日に街中に鳴り響く音を聴いて、その空間にいるみんなが楽しそうにしているのを見たら、安堵感と言うか、感慨と言うか、そうしたものはありましたね。
大森:街を歩いているとどこからか音楽が聴こえてきて、屋外ステージなので演奏者が目に見える。私も素敵なイベントが生まれたと思いました。
鈴木:おそらく石巻でもこうしたイベントを開催しようという話はいくらでもあったと思うんですよ。でも、なかなか続かない。だからこそ、私たちは「継続」ということを大切にしているんです。

ーその「継続」を体現したのが東日本大震災があった2011年のように思えます。あの時、「実施」を決断したのはどのような想いからだったのでしょうか。
鈴木:正直、開催できるのかどうか全く分からない状態でした。そうした中で今隣にいる大森君にも電話をしたんです。そしたらこの人、「鈴木さん、トリコローレの資料は流されてなくなってしまいましたけど、でも、できますよ」と言ったんです。みんなが「無理だ」って言っていた中で彼だけ「できますよ」って。
大森:あんな時なのに私も鈴木さんもトリコローレのことを考えていたんだから面白いですよね。
鈴木:みんな、楽器を流されたり、バンドメンバーが犠牲になったり、音楽をできる雰囲気かと言われれば難しかった。でも、みんながどうしようか迷っている時に「トリコローレやるよ」と言うことができれば、迷っているみんなの受け皿にはなれる。何か批判があったら我々が「すみません」と頭を下げればいいだろうと。

ー音楽を鳴らしていいんだよ、と伝えたかったと。
鈴木:そうなんですよね。そこから開催に向けて打ち合わせを始めたんですが、まだ津波の跡が残る石ノ森萬画館の会議室に来てくれた定禅寺ジャスフェスの方々が唖然とした様子で「本当にこんな状態でやるんですか?」と。それで我々は「こんな状態でもやるんです。だから、手伝ってください」とお願いしました。

ーこうした状況だからこそという強い思いがあったんですね。
鈴木:音楽祭当日、メインステージでブラスバンドが「ふるさと」を演奏したんです。練習する時間も場所も限られていた中なので、決して上手いとは言えないんですよ。でも、それを聴いていたおじいちゃんおばあちゃんが涙を流していて。その姿に「やっぱり音楽ってのは必要なんだな」「これは続けなくてはいけない」と改めて思いましたね。

ー2004年の初開催から次で17回を数えるまでになりました。この間、多くのつながりが生まれているのではないかと思います。
大森:過去16回の出演者数は延べ1万人くらいになるでしょうか。考えてみるとすごい数ですよね。バンドの皆さんにとってもトリコローレが年に1回の同窓会のようになっているみたいですし、トリコローレが石巻の街中に足を運ぶきっかけになってくれているのかなと。
鈴木:だからこそ、今はコロナで大々的にはできませんけれど、それでも小規模なイベントを開いたりして音楽が鳴らせる場所は途切れさせないようにしています。ただ、やっぱり盛大にやりたいですよね(笑)。

ー最後に、石巻の街にとって音楽がどのようなものになって欲しいでしょうか。
鈴木:トリコローレのテーマである「海+人+そして音楽」にもあるように、たくさんの魅力が石巻にはあって、音楽はその大きな魅力の一つだと思うんです。音楽を通して、人がつながって、色々な化学反応が生まれて、石巻が元気になる。とまあ、難しいことはたくさんあるけれど、とにかく音楽は楽しいから、楽しんでいきたいですね。

トリコローレ音楽祭
公式HP|http://tricolore-fes.com/


「今年で丸10年の“ブルレジ”。次は地域に還元する番に」 

ー 石巻 BLUE RESISTANCE オーナー 黒澤英明さん

Profile|黒澤英明さん(くろさわ・ひであき)
1971年、石巻市生まれ。中学時代からバンド活動に打ち込み、高校卒業後は仙台や石巻で自動車の板金塗装などの仕事に従事し、その後飲食店経営で独立。ライブハウス運営の夢を追いかけ、東日本大震災を契機に実現へ動き出し、2012年10月に「石巻 BLUE RESISTANCE」をオープンした。

ー「石巻 BLUE RESISTANCE」が生まれるきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
 音楽はずっと好きだったので、ライブハウスのような場所をやりたいという想いは漠然とはあったんです。それで経営していたカフェを従業員に譲って、お金を稼ぐために養殖業の手伝いなんかをしていたんですが、その仕事も震災で全くなくなってしまった。そこからは瓦礫の片付けとかもしたものの、当然本当にやろうとしていることからどんどん遠くなっていくので寂しくなる一方なんですよね。好きなことを少しでもやりたい。そう思って仲間と動き出したのが最初の一歩でしたね。

ーそれが2011年秋のことですね。
 そうして動き始めた時に、ライブPAチーム「SPC peek performance」が中心となって東北三陸沖沿岸地域にライブハウスを建設する「東北ライブハウス大作戦」というプロジェクトから声を掛けてもらったんです。本当にできるのかなという不安はもちろんありましたけど、それよりも学生時代に見て感じていた石巻の街中の刺激的な賑わいが目に焼き付いていて、もう一度ああいう景色を見たいなと。別に石巻が大好きってわけではないんですけど、不思議ですよね。

ーライブハウスの名前にはどんな想いが。
 これは当時一緒にいたメンバーがつけてくれたんですよね。彼が「THE MODS」というバンドが好きで、その曲名から提案してくれました。歌詞としては「暗闇から立ち上がる」といったような歌詞になっていて、当時の石巻の状況を表しているように感じたんですよね。俺としては、「BLUE」を海に例えて、「抵抗(RESISTANCE)する」という風に捉えました。

ーこの10年で、著名なアーティストも数多くステージに立たれましたね。世界的なロックバンド「X JAPAN」がまさかここからワールドツアーをスタートするとは思ってもみなかったのでは。
 いやあ、本当にそうですよね。全部の瞬間が印象に強く残っていて、なんだろう、印象に残っているというよりも、一番大変だったっていう感じかな。楽しかったという気持ちもすごくありながら。

ーどうしてそうした方々が石巻のこの場所でライブをしてくれるんでしょうか。
 本当、こんな小さい箱でね。色々な方が「お前も行きなよ」って言ってくれているのを聞いたりはします。あとはこの街自体を気に入ってくれているということもあるんだと思います。有名なバンドにとってはこの250人の会場だと採算は合わないわけで、言ってしまえば気持ちで来ていただくしかないわけですからね。

ーこれは石巻に多くのファンの皆さんを呼び込んでいるということでもありますよね。
 特にライブは夜にかけて行われることが多いので、石巻のディープな魅力にも触れてもらえる。その上で、時々驚くのが「石巻に来たいと思っていたんです」という言葉なんです。「震災の時には忙しくて何もできなかったから」と。来て街を見て街で飲んで食べて、次にはライブに関係なく来てくれてる人もいっぱいいます。

ー一方で、地元のバンドとの関わりはいかがでしょうか。
 3ー4年前に高校生バンドが40組くらいに増えた時は嬉しかったですね。高校生バンドだけのイベントをここで開いたりして。学校で披露するだけじゃなくて、ライブハウスでイベントをすることで同世代でつながることができるんですよね。高校を卒業したら音楽を続ける人はそんなに多くないんですけど、絶対にまたやりたくなる時が来て、その時に高校時代のつながりが生きてくる。今はそれを待っている状態とでも言えばいいですかね。だからあの時の高校生が30代くらいになった時が今は楽しみです。

ー最後にこれからの黒澤さんの目標を教えてください。
 本当は今年10月で10周年なので、たくさんライブをやれる予定で組んでたんですが、それもコロナで全部吹っ飛んじゃって。というのもそろそろ、この10年でつながってきた想いや人脈を地域に還元していく段階に入れればと思っていて。いろんなとこを巻き込んで大きいことをやれたらなと。コロナがどうなるか分からないから、すぐじゃなくても全然いいので。

ー10+1周年でも?
 10+2周年でもね。まあ、ふわっと楽しみにしていてください。

石巻 BLUE RESISTANCE
公式HP|http://blueresistance.com/


WRITTEN by 口笛書店
2019年6月、宮城県石巻市に生まれた出版社。石巻に在る出版社だから作れる本、口笛書店だから出せる本というものはなんなのか。時間をかけて模索していきながら出版活動を行っていきます。地元での出版活動のほか、関東を中心に書籍の執筆編集、ウェブコンテンツの企画編集、広告、コピーライトなど、言葉を取り巻くクリエイティブコンテンツの制作も手掛けています。
公式HP|口笛書店

石巻×文化 特別インタビュー第2弾はこちら → 石巻×演劇・劇場

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